子どもが輝く“不便”なくらし
〜お手伝いを考える〜

 昨年、リフォーム後の実家に帰った時、家電製品の便利さに目をみはりました。台所横にあるスイッチを操作すれば、お風呂にお湯はりができるのです。温度も湯量も設定自由。しかも、最後には音楽とともに「お風呂が沸きあがりました」とアナウンスで知らせてくれます。料理中でも、ボタン1つでお風呂の準備ができる便利さに驚きました。このような機能は、最新の機能というわけではないことにも、びっくりしました。しかし、便利になった実家で、子どもたちは、ちょっとつまらなそうでした。
 
普段、お風呂にお湯をはる時、お湯の量を見守るのは1歳の娘でした。「もう、いっぱい
になるよー」と叫ぶと、3歳の息子がとんでいって蛇口を閉めます。お風呂の後の掃除は6歳の娘。それぞれに見合った、それぞれにしかできない役割がちゃんとあったのです。1歳の娘にはまだ使えない蛇口だからこそ、3歳の息子も得意げになります。もし、この時、誰にでもできるレバー水洗であれば、息子は見向きもしなかったと思います。自分にしかできない自分の役割だからこそ、意気揚々とこなし、役に立つことを誇りに思っているところがありました。

 我が家では、洗った後の食器を拭く作業も、子どもたちにはひっぱりだこです。「全部私がやるー!」とケンカになることもしばしばです。食器が山積みになっているカゴから、音をたてないように、割れないように、そおっと取り出すあたりが、おもしろいようです。

 他にもアイロンがけ・料理など、やけどや指を切るといった危険をともなうものほど、やりたがります。全神経を集中し、ドキドキするところに魅力があるのでしょうか。一方で、ごぼうの土洗い、ひき肉こね、靴洗い、洗濯物たたみ、など、黙々とやる作業も人気があります。大人にとっては、「手が冷たい、汚れる、ちょっと面倒」などと思うものほど、子どもは楽しめることも嬉しい点です。食器洗い乾燥機やフードプロセッサー、カット野菜などがなくても、“不便”に感じることはないのです。

 お手伝いには、役割という点だけではなく、手の発達、集中力、段取り力、などメリットがたくさんあります。また、家族のコミュニケーションも活発になります。もちろん、生きる力そのものに直結もしていきます。便利な機能をちょっとお休みすると、エコにもつながります。何よりも、役割を果たすことは、子ども自身の“居場所”があることをも意味します。

 近年、ニーズにあった便利なものが、どんどん商品化されています。同時に、バリアフリーのすすんだ社会になってきています。高齢者をはじめ、大人にとっては快適で、ありがたいことは明らかです。しかし、一方で、子どもたちの役割や成長の場を奪い、コミュニケーションを遠ざけていることも事実です。
 「手が足りないな」と感じたら、文明の利器に頼りすぎず、子どものお手伝いにふりかえてみましょう。その中で、子どもたちは、多くのことを体験し、学んでいきます。
 お手伝いの時には、「自分でやってしまったほうが丁寧で早いわ。」と大人が手を出しすぎないこと。見守る、まかせる、じっと待つ、そんな気持ちを大切にしたいですね。
(岡本 悠紀)



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